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奥田頴川01


奥田頴川(おくだえいせん 1753~1811)は江戸時代中期に京焼において初めて磁器焼成に成功した人物である。

生家は姓を頴川と称し明の時代に中国から帰化した富豪であったが、叔父が当主を勤める京都の質屋奥田家の養子となり4代目を継いだ。
しかし根っからの道楽もので商売は全て番頭任せ、読書に耽り芸事に精を出す悠々自適の生活を送っていた。
そんな折陶芸に熱を上げ清水焼の名工海老屋清兵衛に師事し頴川と号し、自らの窯を奥田家と縁が深い建仁時三内に開いた。
その頃京には日本最初の磁器伊万里焼が大量にもたらされており、これに刺激を受けた頴川は磁器焼成に挑戦すべく一念発起。
折りしも伊万里の技法を取り入れたばかりの瀬戸を訪ね研鑽を積んだ。
その後試行錯誤を重ね、京都近郊の比良山と鹿背山の土を混ぜる製法にたどり着きついに京焼最初の磁器焼成に成功した。

頴川はその作風においても京焼に全く新たな要素を取り入れた。
それが交趾(こうち)、呉須赤絵(ごすあかえ)、古染付(こそめつけ)といった中国風の絵付けであった。

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呉須赤絵は頴川が最も得意とし最も多く手掛けた焼物である。
これらの多くは売り物としてではなく頴川自ら使い、親しい知人への贈り物として作った。

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頴川は苦労して会得した磁器の焼成法を惜しむことなく公にし、後進を指導した。
青木木米や仁阿弥道八など名だたる陶工を育て上げ古清水以来の京焼第二の黄金期を築き上げた。

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奥田頴川16
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[ 2011/07/08 ] 人物・著名人 |









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