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北大路魯山人の漆器02


北大路魯山人の漆器05

北大路魯山人(きたおおじろさんじん) (1883~1959)
「器は料理の着物である。」終生食の理想を追求し続けた男。
篆刻家魯山人が金沢を訪れたのは大将4年のことである。
油問屋の主人細野燕台の招きによるものだが、この燕台は金沢有数の資産家で、のちの魯山人に大きな影響を与えている。
求めに応じ細野屋の看板を彫ると、燕台はその出来を大いに気に入りさらなる仕事を紹介すべく山代温泉に誘った。
ここでも魯山人は老舗の看板を次々と手掛け高い評価を受けた。

北大路魯山人の漆器10

その際食通の燕台が既成ではなく料理に合わせた自作の器で食を楽しむ姿に深く感銘を受けた。
「料理とは単に舌先だけで味わうものではない 器がくだらないものでは料理も生きない」
これを機に魯山人も自作の器を求め九谷焼の窯元で作陶をはじめほどなく漆器の製作も試みたが全て失敗に終わった。
そこで辻石斎を燕台に紹介された。
魯山人はせきさいに桃山期以前の鎌倉彫、根来塗にみられる明快な色彩や簡潔な機能美を熱く語り、形、装飾の部分まで細かく指示。

北大路魯山人の漆器11

鎌倉彫 牡丹文香合(室町~鎌倉時代)
根来塗 丸鉢(室町時代)

自らのイメージが完成するまで決して妥協は許さなかった。
それは日本古来の伝統を踏まえつつ全く新たな美を作り出さんとする大胆な挑戦であった。
そのひとつ金の太陽と銀の月を用いた日月椀は試行錯誤の末ようやく完成させた傑作である。
これらの器は大正14年に魯山人が開いた会員制美食倶楽部星岡茶寮(ほしがおかさりょう)の膳を飾るのに用いられた。

北大路魯山人の漆器15

北大路魯山人の漆器16

その後魯山人は行き違いが生じたらしく石斎と絶縁してしまったが山中や金沢の職人たちと製作を続け数々の名品を世に残した。

北大路魯山人の漆器12

桃山風椀(魯山人図案)

北大路魯山人の漆器13

一閑張木葉皿(魯山人図案)

北大路魯山人の漆器14

漆塗日月椀(魯山人図案)

依頼品

北大路魯山人の漆器17

北大路魯山人の漆器18

北大路魯山人の漆器19

北大路魯山人の漆器20

一閑張日月椀(いっかんばりじつげつわん)
一閑張とは生地の表面に和紙を張り漆を塗る技法。金箔が太陽、銀箔が月を表している。

北大路魯山人の漆器21

北大路魯山人の漆器22

北大路魯山人の漆器23

箔絵椀
金箔の上から漆を塗ったもので桃山期の白檀塗を応用した技法である。

北大路魯山人の漆器24

北大路魯山人の漆器25

棗(なつめ)
魯山人が漆で草花を絵付けし表面を布目地に仕上げている。

依頼品は職人が型見本として残したもの。

北大路魯山人の漆器08

北大路魯山人の漆器09

魯山人の辻石斎に送った絶縁状。


気になる鑑定額は・・・

北大路魯山人の漆器26

日月椀は共箱もなく魯山人自らのサインもないので普通は150万円付くところで、値段も付けづらい品物だが、プロトタイプという特別な配慮で100万円の評価。

北大路魯山人の漆器27

箔絵椀は120万円。

北大路魯山人の漆器28

棗は80万円。
漆の色を混ぜて使っている。これは漆職人は絶対にやらないことで魯山人独特のものだという。

総額300万円。
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[ 2011/03/14 ] 漆器 |

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