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古伊賀の壷01

古伊賀の壷02

伊賀焼は鎌倉時代初期に伊賀地方で生まれた。
当初は主に無釉焼締めの日用雑器を作る窯にすぎなかったが、室町時代後期に千利休の侘び茶が大成されると伊賀焼の作為のない風情に注目が集まり、盛んに茶会で用いられるようになる。
天正13年(1586)筒井定次が領主になると隆盛した。定次は千利休の高弟古田織部に茶の湯を学んだ数寄茶と知られ、織部指導の下素朴で豪快な茶器を数多く焼かせた。この作風はその後藤堂高虎・高次親子を経て高虎の娘婿小堀遠州に引き継がれた。これらを古伊賀という。
伊賀焼は別名七度焼といわれるがこれは土を高温で何度も焼成するからである。
その際わずかに鉄分を含んだ土が燃えるような赤褐色に変化する。また窯の中で降りかかった灰は萌葱色や青緑のビードロ釉となって流れだし煌くような美しい景色を作り出す。
形は歪みや膨らみが強調されており、ありきたりな調和は求めない。へら目は奔放でどれ一つとして同じものは無い。
水指や花生けは耳を持つものが多く、俗に「伊賀に耳あり信楽に耳なし」といわれている。
またひび割れや欠けは本来なら欠点だが、造形性の強い伊賀焼では再現性のない破格の美として高く評価されている。
これらの古伊賀は、その後この地で起きた大飢饉の影響を受けわずか20年あまりで姿を消してしまう。幻の焼物といわれる所以である。


お宝
古伊賀の壷
肌の風合から誰言うとなくせんべい壷と呼ばれるようになる。
元々は茶葉を入れておく実用品であった。

古伊賀の壷15

古伊賀の壷17

古伊賀の壷18

気になる鑑定額は・・・

古伊賀の壷16

鑑定額350万円。

古伊賀の壷03

古伊賀の壷04

古伊賀の壷05

古伊賀の壷06

古伊賀の壷07

古伊賀の壷08

古伊賀の壷09

古伊賀の壷10

古伊賀の壷11

古伊賀の壷12

古伊賀の壷13

古伊賀の壷14
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