スポンサーサイト このエントリーをはてなブックマークに追加

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- ] スポンサー広告 |

高橋英吉の木彫4点 このエントリーをはてなブックマークに追加

高橋英吉の木彫4点01


高橋英吉の木彫4点02

高橋英吉(1911~1942)
1911年宮城県石巻の生まれ、生家は裕福な回線問屋であった。
小さい頃から工作が大好きで石巻中学に入学するも早々に勉学を放棄。
授業中はただひたすらに鉛筆に彫刻を施してすごした。
中学卒業後家族の反対を押し切り、荷物ももたずに上京。
東京美術学校を受験するも失敗すると、そのまま東京に残り洋画家岡田三郎助に師事。
再度の受験に備え石膏デッサンを学んだ。
1931年ようやく東京美術学校彫刻科に入学。主任教授は関野聖雲であった。
しかし毎日仏像ばかりを師の教え通りに彫るという昔ながらの指導法に反発。
独学で古今の彫刻を研究した。
1936年研究科に進むと文展に少女像を出品し入選。

高橋英吉の木彫4点03

高橋英吉の木彫4点04

高橋英吉の木彫4点05

翌年研究科を中退、南氷洋へ向かう捕鯨船の乗組員となる。
創作上の行き詰まり、軍隊召集への不安から精神的に追い詰められてのことであった。
慣れぬ肉体労働は過酷を極めたが、それでも寝る間を惜しんで仲間たちをスケッチした。

高橋英吉の木彫4点06

高橋英吉の木彫4点07

高橋英吉の木彫4点08

帰国後発表した「海の三部作」はこのときのスケッチをモチーフにしたものである。

高橋英吉の木彫4点09

その題一作「黒潮閑日」は髭を剃りあう漁師の姿を彫り上げたもので、 1938年の第二回新文展に出品。
国威発揚ばかりの作品のなか時局に媚びぬ題度がさわやかな感動を呼んだ。

高橋英吉の木彫4点10

高橋英吉の木彫4点12

高橋英吉の木彫4点13

1939年の第二作「潮音」は婚約者のスミエに「全知全能をさらけ出してがんばりたい」と語った意欲作で、漁師のカラダや風になびく衣服の造詣が高く評価され新文展で特選に輝いた。

高橋英吉の木彫4点14

高橋英吉の木彫4点16

高橋英吉の木彫4点15

海の三部作の最終作「漁夫像」を新文展のために搬入、その後召集令状が届く。

高橋英吉の木彫4点17

高橋英吉の木彫4点20

高橋英吉の木彫4点19

高橋英吉の木彫4点18

わずか6日後に慌ただしくガダルカナル島へ出征。
その戦中で木片と釘で自作の彫刻刀を作り、不動明王を彫り上げ妻に送った。
1942年11月に戦死。享年31歳。
 
高橋英吉の木彫4点21

高橋英吉の木彫4点22

依頼品
高橋英吉の木彫4点23

高橋英吉の木彫4点25

高橋英吉の木彫4点28

三十三観音のひとつ魚籃観音(ぎょらんかんのん)の彫刻

高橋英吉の木彫4点30

馬の彫刻

高橋英吉の木彫4点33

鶴の彫刻

高橋英吉の木彫4点34

ガマの彫刻

気になる鑑定額は・・

高橋英吉の木彫4点27

魚籃観音は籠の柄の部分が折れてしまったため評価ダウン。
完品なら100万程。

高橋英吉の木彫4点29

馬は受験に失敗したころの作品で全体的に浅く平たい彫りで修行中という印象。

高橋英吉の木彫4点31

鶴は昭和6,7年に小動物を熱心に彫っていた頃のもの。

高橋英吉の木彫4点32

ガマはギョロッとした強く前方を見る目が英吉の作風を表しているという。

鑑定額210万円。
関連記事

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://otakarajoho.blog10.fc2.com/tb.php/45-7908ce9c











ブログパーツ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。