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源内焼の大鉢_01


源内焼の大鉢_02

 源内焼は、江戸時代中期に希代の発明家平賀源内が創始したものである。 1771年長崎遊学中に、肥後天草で良質の陶土がとれることを知ると、すぐさま陶器工夫書を代官所に提出し、技に優れた陶工を集め、新たな造詣や文様を工夫すれば、蒔絵に肩を並べる程の輸出工芸品になると力説した。ところがこれは資金のめどが立たずあえなく却下されてしまう。
 そこで讃岐に戻り陶工を呼び寄せ、自宅の庭に窯を開いた。これが源内焼である。その多くは緑釉及び三彩釉で、当時茶人達の間で流行していた、中国南部の焼物交趾焼(こうちやき)を模したものであった。
 一番の目的が量産することにあったため、石膏の型を用いており、釉薬も大雑把に掛けられている。しかしその草食には目を見張るものがあり斬新である。
 例えば縁の文様の籠目や変形の唐草などは、従来の焼物には全く類例がない。また見込みには、山水ほか中国の古典に材を取った絵柄や、アルファベット風の文字を配するなど異国情緒に溢れる。
 また焼物に地図をあしらったものは源内焼が始まりである。現在最も有名な地図皿は古伊万里だが、これらは源内焼に倣って作られたと思われる。その頃庶民の間では伊勢参りが流行しており、地図に対する関心は高かった。驚いたことに源内焼には、世界地図が描かれたものまである。
 しかし低温で焼く軟質陶器であったため割れやすく、源内が没すると徐々に衰退した。


お宝
源内焼の大鉢

見込みには楼閣山水、縁には人の顔らしき異国風の文様。
直径は1尺4寸(約43センチ)。
これほど大きな源内焼は珍しい。
45センチの皿が東京国立博物館に所蔵されているが、これは19世紀後半から明治期に作られたもので、直接平賀源内が指導したものではない。

源内焼の大鉢_28

源内焼の大鉢_29

源内焼の大鉢_30

源内焼の大鉢_31

源内焼の大鉢_33

裏は総釉で判子も銘もない。
これは初期の特徴で、安永三年(1774)以前数年の作品と断定できる。

気になる鑑定額は・・・

源内焼の大鉢_32

鑑定額300万円

称賛の言葉尽きることを知らず、鑑定士中島を以って重要文化財になってもよいと言わしめた。

源内焼の大鉢_03

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源内焼の大鉢_27

[自由訳]平賀源内作 風流志道軒傳
[自由訳]平賀源内作 風流志道軒傳
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