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明治時代の写真81点01


明治時代の写真81点04・内田九一

写真師内田九一(うちだくいち・1844~1875)
内田九一は幕末から明治にかけ上野彦馬、下岡蓮杖と共に活躍した写真師である。

明治時代の写真81点03・上野彦馬・下岡蓮杖

九一は1844年長崎の生まれ、早くに両親を亡くしたため長崎で蘭学を学んでいた松本良順の庇護を受けて育った。
その頃良順と交流のあったオランダ人医師ポンペに写真の手ほどきを受け、上野彦馬の写真館で技術を磨いたと伝えられる。
その後一旗あげるべく江戸に出る、慶応2年横浜に写真館を開業したが下岡蓮杖はじめ多くの写真師が営業していたため明治2年浅草に支店を開いた。
その際「写真を撮ると魂が抜かれる」といった風評を防ぐため屋号を九一堂万寿とした。
すると恩師松本良順の紹介に加え柳橋の料亭に近いこともあり、政府高官や当代の役者たちが常客となってくれた。
勝海舟、木戸孝允、後藤象二郎、伊藤博文、井上馨、福沢諭吉など錚々たる顔ぶれが写真館を訪れた。
この頃撮影された写真でいまなお論争を呼んでいるのが島津家の若殿と家臣たちの集合写真である。

明治時代の写真81点11

中央に写っているのが島津久光の三男と四男で右端は大久保利通、そしてその隣に座っている人物こそ西郷隆盛ではないかと一部の研究者が主張している。が真偽のほどは定かではない。

明治時代の写真81点12

明治時代の写真81点13

明治時代の写真81点14

その後九一の名は宮中にも伝わり明治5年には明治天皇の御真影撮影を拝命した。
その撮影当日九一は天皇の姿勢を直そうとその玉体に触れたところ侍従の逆鱗に触れた。
しかし天皇が「写真技術中は、我体と雖も彼の手中の者なれば、其の所為に任すこそ適当の事なれ」との御言葉を発せられ事なきを得た。
さらに同年、近畿・中国・四国・九州への御巡幸に随行し日本各地の名所旧跡をカメラに収めた。

明治時代の写真81点15・伊勢神宮

明治時代の写真81点17・鹿児島台場

このときの写真は東京市に買い上げられ翌年ウィーン万国博覧会に出品された。
かくして九一は名実共に人気写真師となったが明治8年に32歳で他界した。

お宝
内田九一の写真38点
上野彦馬の写真2点
下岡蓮杖の写真3点
そのほか撮影者不明の写真43点

明治時代の写真81点18

明治時代の写真81点19・熊本城

明治時代の写真81点20・鹿児島城

明治時代の写真81点21・日光東照宮

明治時代の写真81点22・木戸孝允・後藤象二郎

明治時代の写真81点23

九一は撮影した写真を名刺板サイズに焼き増し12銭5厘で販売していた。当時としては高価だったが爆発的に売れ特に外国人に高い人気があった。

気になる鑑定額は・・・

明治時代の写真81点24

鑑定額128万6千円。
[ 2011/04/02 ] 写真 |

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