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和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀01


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和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀04

皇女和宮(かずのみや・1846~1877)
激動の幕末、望まぬ結婚を強いられ波乱の人生を送った女性。
1846年仁孝天皇の第8皇女として生まれる。
1851年有栖川熾仁親王と婚約し親王妃となるべく教育された。
1853年黒船来航。運命が大きく変わってしまう。
1858年大老井伊直弼が不平等条約を結んだため孝明天皇が激怒。
幕藩体制は弱体化の一途を辿った。
そこで朝廷の伝統的権威と結びつき建て直しを図ったのが公武合体運動である。
その際第14代将軍家茂の正室候補として白羽の矢が立ったのが和宮であった。
これを孝明天皇に進言したのは侍従の岩倉具視である。
すると天皇は幕府に条約破棄を約束させることで降下を了承したが、和宮は固辞した。
しかし破談の際には退位もやむなしとの天皇の固い決意をしりついに承諾した。
このとき和宮わずか15歳。
1861年10月京都を出発、中山道を上る一行は数千人もの盛大なものであった。
その際和宮は複雑な胸の内を歌に詠んでいる。

「住み馴れし 都路出でて けふいくひ いそぐもつらき 東路のたび」

江戸城本丸に入城したのは出発から2ヵ月後のことであった。
同時に持ち込まれた婚礼道具は将軍の正室に相応しく絢爛豪華なものであり、屏風、衣装、武具、化粧道具に至るまでありとあらゆる調度品が整えられた。

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀05

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和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀07

嫌々従った結婚であったがいざ嫁いでみると家茂の深い愛に和宮も和みふたりは仲むつまじい時を過ごした。
しかしわずか5年後家茂は第二次長州征伐の際、大阪城で病没。
悲しみにくれる和宮の前に遺骸とともに届けられたのは土産に所望した西陣織であった。

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀08

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀09

「空蝉の 唐織ごろも なにかせむ 綾も錦も 君ありてこそ」

1866年、兄孝明天皇も崩御。
また公武合体派だった薩摩藩も倒幕に走り大政奉還となった。
その後の戊辰戦争では和宮は徳川家救済、征討軍の進撃を嘆願したが願いむなしく明治維新を迎えてしまう。
1877年療養先の箱根で逝去。32歳の若さであった。

お宝

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和宮の婚礼道具

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天皇家の家紋

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徳川家の家紋

篤姫所用の椀

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近衛家家紋

慶喜所用の椀

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和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀18

金地に黒漆で草花文が描かれている。

気になる鑑定額は・・・

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀19

鑑定額150万円。

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀22

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀23

なんと篤姫と和宮のものではないとのこと。ただいずれも徳川家のもの。
鑑定士大熊敏之によると「後の時代に作ったのではないか」という。
徳川家の三つ葉葵の紋は歴代徳川家で葉の葉脈の数が変遷している。
家康は33枚、13~15代までが13枚、今回の依頼品は17枚。

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀20

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀21

17代将軍のものは17枚の葉を使っていることが数々の例で示されていることから17代徳川家正の頃に作ったものであると推定される。

篤姫所用の椀とされたものについては葉脈の数が25枚ある。

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀24

これは初代から15代までの将軍家の三つ葉葵と合致しない。
そして近衛家の家紋である近衛牡丹であるが篤姫が輿入れしたときのものと形が少し違っている。

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀16

16代家達の妻が近衛家から輿入れしているためそのときのものではないかと推定される。

技法的な面から論じると木目が出ていたり、欠けた部分をみると漆が非常に薄い。

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金粉を撒いた叢梨地(むらなしじ)が大分荒れている。

和宮の婚礼道具&篤姫所用の椀&徳川慶喜所用の椀26

これらのことから江戸期までの技法ではなく近代の技術で作られたと思われる。
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[ 2011/04/18 ] 漆器 |









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